書評【墜落の夏】吉岡忍

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【墜落の夏】この本について

日航123便墜落事故から1年後の1986年8月発行。
事故状況や事故原因の調査、事故後の対応等々。乗客、遺体、警察、医師、遺族、航空会社、航空機製造会社、保険会社、運輸省などなど様々な切り口で詳細に書かれた作品。
墜落事故後1年でのこの内容はすごい出来だと思います。

生存者の落合由美さんの『落合証言』と7時間に及ぶ『落合由美さんへのインタビュー』は注目です

【墜落の夏 目次】

1 真夏のダッチロール
2 32分間の真実
3 ビジネス・シャトルの影
4 遺体
5 命の値段
6 巨大システムの遺言

【あらすじ】『落合証言』最初の事故証言

4名の生存者。その一人、落合由美さんは事故当時現役の日航アシスタント・パーサー。日勤あけで大阪の実家に向かうため123便に乗った。

事故からふつかの8月14日。
落合さんは集中治療室で酸素マスクに点滴をし、心電図をとり、複雑に骨折した腕を吊りながら、およそ10分間にわたり日航の重役たちに様子を語る。これが最初の事故証言となり『落合証言』とよばれている

午後6時25分ごろ、「バーン」という音が上のほうでした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかわからない。床下やその他で、爆発音は聞こえなかった。

同時にキャビン(客室)内が真っ白になり、キャビンクルー・シート(客室乗務員用座席)の下のベント・ホール(着圧調整口)が開く。床は持ち上がらなかった。ラバトリー(便所)上部の天井もはずれた。

同時にO2(酸素)マスクがドロップ。プリレコーデッド・アナウンス(あらかじめ録音された緊急放送)が流れ出した。このとき、ベルト・サインは、まだ消えてなかったと思う。

機体は、かなりひらひらとフライト(飛行)し、ダッチロール(機種が上下左右に揺れる)に入ったようだった。ややして、富士山が左に見えたので、コックピット・アナウンス(操縦室からの放送)はなかったが、羽田へもどるものと思った。

十分ほどして、酸素がなくなったが、別に苦しくはなかった。この間、コックピット・アナウンスはなく、パーサーから非常事態のアナウンスがあった。

後部SS(スチュワーデス)と一緒に、お客様にライフ・ベスト(救命胴衣)着用と安全姿勢の指導をしてまわって、その後、自分もベルトを着用し、安全姿勢をとった。

機体は、やがてかなり急角度で降下しだした。まもなく2.3回強い衝撃があり、まわりの椅子、クッション、その他が飛んだ。自分の上には椅子がかぶさり、身動きができない状況だった。

おなかがちぎれそうに苦しかったが、やっとの思いでベルトを外すことができた。しかし、椅子のあいだに体がはさまり、身動きはできなかった。ヘリコプターが見えたので、手を振ったが、むこうではわからない様子だった。火災は周囲では発生しなかった。やがて眠ってしまった。男の人の声で目を覚ましたら、朝だった。

本文P36

【あらすじ/感想】落合さん7時間に及ぶインタビュー要約 

墜落事故から4ヶ月後、リハビリをしている落合さんに合計3回、7時間かけて、聞き間違いが無いか、内容に不備は無いか、こまかく。落合さんにうるさがれるほど執拗に質問したインタビュー。
本編は長くて記載できないが、一部要約して記載してみます。(本編P59〜P70とP113〜P119)


大筋は「落合証言」と違いは無いが、細かいところで少し違っていたりする。

・高めの『パーン』というかなり大きな音がした。急減圧が無くても耳を押さえたくなるような響く音がした。

・耳は、痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じ。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。しかしそれもすぐに直った。

・『パーン』という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ただちに録音してあるアナウンス『ただいま緊急降下中。マスクをつけてください』と流れる。しかし緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はなかった。

・『パーン』という音と同時に、白い霧のようなものが出た。かなり濃くて、前のほうが、うっすらとしか見えないほど。その白い霧のようなものは、数秒で消えた。白い霧が流れるような空気の流れは感じなかった。

・8月14日に日航が発表した『落合証言』で、ベントホールが開いたと記載があるが、落合さんの座席からは見えない位置。落合さんは開いたのかどうか確認できない。(日航が勝手に捏造していることになる)ダッチロールという言葉を落合さんは知らなかった。(『落合証言』で使われている。これも日航が捏造していることになる)

・落合さんも救命胴衣をつけるのを、手伝ってまわる

・泣きそうになっているのは男性ばかりで、女性の方が冷静だった。落合さんの周りでは救命胴衣をふくらませてしまったのは男性ばかりだった。(救命胴衣は飛行機が、着水して外に脱出してからふくらませるとこになっている)

・スチュワーデスは冷静に行動していたので、客室内がパニックになるようなことはなかった。ただ笑顔はもう無く、彼女たちの顔も緊張していた。

・救命胴衣をつけている間に、正確には覚えていないが、『急に着陸することが考えられます』『管制塔からの交信はキャッチできています』というアナウンスがあった。

・しだいに揺れがいっそう大きくなる。もう立っていることはできないほど。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんど一斉に安全姿勢を取った(安全姿勢=頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむ。全身を緊張させて、強い衝撃に備える姿勢)

・そして急降下がはじまった『まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。本当はそんなふうになっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。』

・『怖いです。怖っかったです。思い出させないで下さい。もう、思い出したくない恐怖です。』お客様はもう声も出なかった。

8月14日に出された『落合証言』が日航によって捏造されていたことが、驚いた。こんな大事な証言を捏造するなんて。軽く考えていたのか、会社に都合よく発言したのか。こういう細かなところからすでに日航の無責任さを感じる。

・衝撃は一度感じただけ。衝撃が終わった後は、わーっとホコリがまっているようだった。目の前はもやーっとしていて、この時墜落だ、大変な事故を起こしたんだなと思った。

・呼吸は苦しいというよりも、ただ、はぁはぁとするだけ。ぐったりとして死んでいく直前なのだと思い、早く楽になりたい、死んだほうがマシだと思い、苦しみたくないという一心で、舌を強く噛んだ。しかし、痛くて、痛くて強くは噛めなかった。

・墜落の直後は、『はぁはぁ』という荒い息遣いが、一人ではなく、何人もそこらじゅうから聞こえていた。

・『おかあさーん』と呼ぶ男の子の声。『早く来て』という若い女の人の声。『ようし、ぼくはがんばるぞ』という男の子の声。

・真っ暗な中、ヘリコプターの音が聞こえた。明かりは見えなかったが、音はすぐ近くではっきり聞こえた。これで、助かると思い夢中で右手を伸ばし振ったが、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまった。このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていた。

・真っ暗な中、ぼんやり夫や父のこと、亡くなっている母の言葉など、いろんなことが次々に頭に浮かんだ。涙は全然流さなかった。墜落のあのすごい感じは、もう誰にもさせたくないと考えていた・・・意識がまた薄れていった。

・気がつくとあたりは明るかった。物音は何も聞こえず、生きているのは私だけかなと思った。

・ヘリコプターの風を感じ、音が直ぐ側で聞こえた。朝の光ではなく、もっと明るい光が目の前にあふれていた。

・すぐ近くで救助の声が聞こえて、右手を伸ばして振った。『もういい、もういい、すぐ行くから』と言われ、そのあと意識を失った。意識朦朧としながら、助かったとぼんやり考えていた。どうやって埋まった中から救出されどうやって運ばれたのかは、全く覚えていない。

落合由美さんは8月13日午前11時半に事故現場から救出された。墜落後16時間以上が経過していた。落合さんを含む4名の生存はまったくの奇跡的なできごとだった。

墜落の夏 P119

事故後、生存者救出のおくれが問題になった。この7時間に及ぶ面談の内容で、墜落後もたくさんの生存者がいたことがわかる。

もっと早くに墜落現場を特定し、救出隊の出動がスムーズに行われていたら、もっとたくさんの人が助かった可能性は否定できない。


「32分間の真実」章の落合さんのインタビューは「落合証言」よりも詳しく123便内でのこと、墜落後のことが書かれているので、ぜひじっくり読んでほしいと思いました。

【感想】

日航事故関係の本を色々読んできたが、疑問になるところが発行年によって大きく話が変わらないことが不思議。近年になってわかったことがたくさんあるけど、どれも事故翌年には疑問に上がっていることばかり。

墜落理由はなんなのか?
本当に墜落場所は分からなかったのか?
なぜもっと早くに救助に行けなかったのか?
事故後1年で書かれたこの本の疑問を、事故から37年たった今でも何一つ解決されていないのが闇が深いし、なんとも言えない気持ち。

事故で実際に亡くなってしまった人だけでなく、
残された家族が心労で亡くなってしまったり、加害者側の日航のお世話係が亡くなってしまったり本当にこの事故はたくさんの命が亡くなった。
生々しい文章を読んで辛かったです。



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日本航空123便墜落事故関連
ざわの知識は浅かった

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