【川上慶子さん証言】隠された証言/藤田日出男:より引用

ブラウン コーヒー 記事見出し画像 アイキャッチ

8月19日 国立高崎病院の看護不調を通じて行われた 川上慶子さんへのインタビュー

ーよく眠れた?今朝のごはんは美味しかった?
『はい、眠れた。(食事は)おいしかった。
ー飛行機のことを話してくれる?
『北海道から東京、東京から大阪に飛行機で行き、叔母のところに寄ることになっていた。
ー飛行機の中で音がした時、何が起こった?
『左後ろの壁、上の天井の方が「バリッ」といって穴があいた。一緒に白い煙みたいなものが前から入ってきた』
ーその時、なにか考えましたか。
『怖かった。(しばらく考えた後で)何も考えなかった』
ーシートベルトはしていたの?
『したままだった』
ー落ちて最初に気づいた時の様子は。
『真っ暗で、何も見えなかった』
ーお父さん(英治さん)、お母さん(和子さん)、咲子ちゃん(妹)のことは覚えている。
『咲子とお父ちゃんは大丈夫だったみたい。お母ちゃんは最初から声が聞こえなかった』
ー明るくなって見たのはなに?
『木とか太陽が差し込んできた。それに、寝転がったみたいになっていたから、目の前にネジのような大きなものが見えた』
ーほかに何も見えなかった?
『隣に何かタオルみたいなものが見えて、お父ちゃんが冷たくなっていた。左手が届いたので触ったの』
ー助けられた時は何を思った?
『お父ちゃんたち、大丈夫だったかなあとか』
ーヘリコプターで吊り上げられる時の気持ちは?
『出される時ね、咲子がベルトでしばられているところが見えたから、大丈夫かなーと思った』
ー自分で助かったと思った時はいつだった?
『朝(13日)だいぶしてから』
ー今いちばんうれしいことは、なに?
『知らない人やクラスの友だちから励ましの手紙や、いろんなむのを宅急便とかでもらったこと』
ーほかに何かいいたいことがありますか
『いろいろ励ましてくれたので、くじけずに頑張りたいと思います』

隠された証言P47

8月24日 日刊スポーツより 付き添いの関係者に語った川上慶子さんの証言

墜落する前にはお父さんが『慶子、頭を下にしろ』と叫んで、慶子さんと妹の咲子さん、それにお母さんの3人を、両手を広げて抱えて守ってくれました。

(墜落後)気がつくと真っ暗で油臭い匂いがした。子供の泣き声などがザワザワと聞こえていた。
手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており、「生きている」と思った。

みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。母は答えなかった。「手や足を動かしてみ」と言われて足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。足首がヌルヌルとしていて「血だな」と思った。

父は私の右わきから下半身に乗っていた。手足は動いても体は動かない。「助けて」と父にいうと、「お父ちゃんも挟まれて身動きできない。助けてやりたいけど、どうしようもないわな」と言われた。

父が動くと、お腹が死ぬほど苦しかった。「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。すごく痛い」と言っているうちに、父はそのまま動かなくなった。

咲子に聞くと「お母ちゃんは冷たい。死んでるわ。お父ちゃんも死んでいる」と答えた。左手をのばして触ってみるとやはり冷たかった。その後咲子と二人でしゃべった。

咲子は「苦しい、苦しい」と言った。「足で踏んでみたら楽になるかもしらんからやってみ」と言うと妹の足の音がした。妹はそれでも「苦しい、苦しい。みんな助けにきてくれるのかなあ」というので「大丈夫、大丈夫。お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまったみたいだけど、島根に帰ったら、おばあちゃんとお兄ちゃんと4人で頑張って暮らそう」と答えた。

突然、咲子がゲボゲボと吐くような声を出し、しゃべらなくなった。一人になってしまったと思い、その後、朝まで意識が消えたり戻ったりした。

ヘリコプターのパタパタという音で目が覚めた。目の前を覆う部品の間から二本の木が見え太陽の光が差し込んできた。「生きてるんやな」と思った。何とか外に出て見つけてもらおうと思い努力した。

父のタオル地が見え、腹の上に乗っている父を左手で押し下げた。そのとき、父のだと思って触った手を、上の方にたどると自分の右手だと分かった(右手神経のマヒ症状)

顔の上の部品の一部をつかんで横からはい出そうとしたが、二度三度するうち部品がずり落ち、顔とすき間が狭くなった。そこで今度は両足をあてがい押し上げようと踏ん張った。「中学になってから慶子は根気がなくなった」と、日頃から言われていた言葉を思い出し、頑張った。

人の気配がして「生きている人は手や足を動かして」と声がした。足をバタバタさせると人が近寄ってきた。ボサボサの頭、ショートパンツで勘違いされたらしく、「男の子だ!」と言われた。

隠された証言P49

川上慶子さんの証言を読んで

当時12歳中学1年生の川上慶子さん。慶子さんは家族4人で北海道旅行の帰りに大阪の親戚宅に寄るため羽田に戻り、キャンセル待ちの後123便に搭乗した。

こんな酷い経験をするなんて
辛すぎる・・・

言葉で表すには語彙力がなさすぎて表せない。

生きてても地獄だっただろうな
自分の上で、父親がだんだん冷たくなり亡くなるとか、妹が苦しい苦しいと言いながら亡くなるのをそばにいて経験するなんて。
トラウマとか目をつぶると思い出すとか
本当に辛かったやろうな。

ふと気になってネットを漁っていたら
今は幸せに過ごされているとのこと。
本当に良かった。



川上慶子さんが発見された時
『お父さんがかばうように慶子さんに覆いかぶさっていた』そうです。
親はとっさに子供をかばったんだろうなと発見者は話したそうです


スポンサーリンク
日本航空123便墜落事故関連
ざわの知識は浅かった

コメント

タイトルとURLをコピーしました